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事務所代表の国税局時代について
REBFLEET代表 / 税理士
笹 圭吾 Keigo Sasa
国税局員時代について
国税局員(公務員)になった理由
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就職氷河期で「資格」とか「手に職」と言われた時代、公務員が人気化
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就職活動をどれだけ頑張っても、それまでの学歴(学校名)で判断されるため、過去を後悔することになると考えた
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公務員試験は学歴(学校名)で左右されないため、ワープが出来ると思った
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豊かになるためには勉強が唯一の方法であると考えた
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税理士になろうと考えた。色々な業種に関与できることで楽しそうだし、独立可能な資格であったため。
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税理士になる方法として、国税局に入るという選択肢があることを母から教わった。
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国税専門官試験に受かった
国税局時代の様子
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同期入社が大阪で100名程度 研修からスタート 気分は学生の延長であった
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法人税調査の最前線へ 社会人としてのマナーや調査のプロとしてのスキル等を叩き込まれる→しんどかった
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独身寮での生活 気の合う仲間との出会い 上下関係に厳しい時代であり、それに伴うストレスも多かったが同期とこの環境下で過ごせた時間は非常に楽しい時間であった。
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社会人7年目にして人生初の賃貸借契約 色々な束縛の中で生活していた寮生活から卒業し、すごく自由を感じた瞬間であった。
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税理士試験受験を開始 最も時間のかかった簿記論合格まで苦節4年 挫折に慣れている私でもストレスの多い時期であった。
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結婚・長女・長男誕生を経て、職場でも係長というやりがいのある職責を任せてもらい充実した生活を送る
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親として、今すべきこと
先にいばらの道を進もう(失敗しておこう)と思った。
子供に色々チャレンジするよう指導している自分は何もチャレンジしていなかった
これからの時代が不透明である中で、将来、求められる人材に自分が先になろうと考えた。 -
自分自身のしたいこととしたくないことを見直した
組織のルールが自分には合わなかったが、今まで合わそうとしていた
抑圧された独特な文化になじめなかったが、なじもうとしていた
組織内で出世している人に対する極度な気遣いに違和感を感じていた -
自分の需要 救える会社や救える人がたくさんいることを感じた
中小企業、とりわけ小企業の抱える問題の多くは同じであり、少しのスパイス(情報や知識)で大きく変わる。一緒に成長できる未来を想像したら、楽しくわくわくするものであることを感じた。 -
時代の変革期であった
歴史的な変革期に、働き盛りの年齢であることが幸運であると思えた。 -
税理士業は無くなる仕事と言われているがそうではないと感じた
よくAIに奪われる仕事であると言われるが、確かに税理士業務の一部はAIが代行することとなっていくだろうが、その業務は元々、税理士としては価値の低い作業であった。これは、逆に喜ばしいことで税理士の本来の価値を提供できる時代になっていくものと捉えた。 -
「勝つ企業」は勝ったから税金をたくさん払っているのではなく、税金をたくさん払ったから勝ったのだということに気づいた時、私が今後、関わる決算書は「勝つ」ための決算書にしたいと強く思った。
なぜ、国税局(公務員)を辞めたか
退官を決めた時の家族の反応
国税局を辞めて独立することを決意した時、 家族はこのような言葉をかけてくれました。
母
国税局に入った時に、涙声で「そうか、そうか、頑張ったな」と喜んでくれた母。 それから18年後に退職を伝えた時、 母はか弱い声で「そうか…いつ…」「お父さんにも早く言わなあかんで…」と、 悲しげでした。
父
「反対はしない、後悔しない生き方をしろ」
「家族の理解は得ているならいい、応援する」
妻
「頑張って来たもんね。信じているし、心配はしていない。」
「もちろん賛成、応援します。」
「楽しみやね。」
子供
「お父さん、お仕事辞めるの?じゃあ、いっぱい遊べるね。」
人が生きていく背景には、様々な人の「言葉」があります。私はこの「言葉」をとても大切にしています。
嫌なことやしんどいことも常に前向きな「言葉」に換え、関わって頂ける皆様を楽しい気持ちにできる人間でありたいと思っています。
最後に、自分が自分にかけた「言葉」は 「大丈夫や。沈んでも前進してる。」